ホーム

図書館九条の会

最新情報

会員のひろば

会員通信

戦争と図書館

資料紹介

問い合せ

入会

リンク

                 

ホームへ
図書館九条の会について
最新情報
会員のひろば
会員通信
資料紹介
問合せはこちら
入会はこちら
リンク集

「戦争と図書館」

図書館九条の会世話人 大澤正雄

(2006年1月1日)

新年おめでとうございます。この欄を担当して一年が経過しました。
 今年は憲法九条を守る年として正念場の年となります。今から六〇年前日本国憲法の論議を通じて当時の人たちがこの憲法になにを託そうとしたのかが、その論議の中から見えてきます。
 これらのことは、昨年、三月七日図書館九条の会主催で講演を行った岩田行雄さんの資料『検証・憲法第九条の誕生』にも当時の国会での論議を採録し紹介しています。
 自民・公明・民主の与党保守連合が憲法改正を具体的日程に載せようとしているとき、当時の状況を資料を通じて紹介するのが図書館の使命だと思います。
 かつて、日本図書館協会事務局長だった有山ッは一九五二年「破壊活動防止法」論議の中で『図書館雑誌』(1952年7月号P.47)を通じて図書館員のとるべき態度を示しました(拙著『公立図書館の経営』P.43〜45収録)。有山は「その時は、その事実を国民に訴えて、国民の判断によって決定すべきである。」「近代社会が主権在民で、民衆の総力によって運営されるべきものであるならば、われわれは民衆を信じ、民衆への不断の奉仕を怠ることなく遂行すべきである。」と訴えています。
 今こそ、すべての図書館が憲法、教育基本法の資料を掲げ国民的論議を起こすべく運動をくりひろげることが大切な時期にきていると思います。例えば、憲法・教育基本法コーナーを設けさまざまな憲法・教育基本法に関する資料を紹介し、利用者・住民に「訴えて」いくこともできます。
 新年にあたり、いま、保守連合で葬り去ろうとしている九条第二項について岩田さんの資料を紹介し、当時の政府の考えを法制局の想定問答からみていくと同時に敗戦直後当時の人士の考えを見ていきたいと思います。

昭和二十一年四月 法制局作成
憲法改正草案に関する想定問答〔第三輯〕

 第九條の規定と自衛戦争との関係如何
 第九條は、まづ第一項において、いはゆる國策の具としての戦争、すなわち侵略戦争を、我が國が永久に放棄する旨を規定している。
 しかし、右は、夙(つと)にいはゆる不戦條約で書く締約國の義務となってゐるところであり、仏(フランス)の一七九一年憲法や西班牙(スペイン)憲法にも先例があり、それだけでは、大した新味とはいへない。のみならず、その先例は、やがて破られる運命を免れないのであって、結局戦後の一時的な人心の所産に過ぎないといへる。
 そこで改正憲法は、右の実致を確保するため、二つの思い切った保障を行った。そして、その故にこそ、本條は劃期的な規定となり、空前のものといへるのである。その保障の一は、事実上侵略戦争を不能ならしめる意味をもつものであって、隆海空軍その他の戦力の保持が許されないということであり、その保障の二は、法律上侵略戦争を不能ならしめるものであって、國の交戦権が認められないといふことである。ここまで来ると侵略戦争は、いかなる場合も行ふことが出来なくなり、第一項の実致は最大限度に確保され、その違反蹂躙(じゅうりん)は、考えられなくなるのである。
 右の保障は徹底的であるが、しかし、そのために第一項において直接禁ぜられてゐない戦争、すなはち自衛戦争までできなくなるといふ結果を来す。しかしこれはやむを得ない。蓋し、(一)自衛戦争ができる余地をのこさんとすれば、右の事實上及び法律上の保障を撤回ないし縮少する必要を生じ、結局保障が骨抜となり、西班牙(スペイン)憲法等の類と同じ水準にまでおちることとなる。(二)自衛権の名に隠れて、侵略戦争が行われ易く、しかも日本國は、その前科があって、その危険なしとはいへない。(三)國際聯合が成立しその武装兵力が強大となれば、自衛戦争の実行は、事実において、これに依頼することができる。
 概略以上の理由によるのである。
 しかし、しからば外國の侵略に対し、常に拱手して、これを甘受しなければならないかといへば、さうではない。その地の國民が、有り合はせの武器をとって蹶起(けっき)し、抵抗することは、もとより差支へないし、又かかるゲリラ戦は相當に有効である。しかし、これは國軍による、國の交戦ではない。したがって、國の戦力はなくともできるし、國の交戦権は、必要としない。この場合の侵略軍に對する殺傷行為は、交戦権の効果として適法となるのでなく、緊急避難ないし正當防衛の法理により説明すべきものである。

 我國に對し、外國が戦争を仕掛けて来た場合は如何。
 戦争は相手があって初めて発生する現象であるから、他國が其の武力を以ってわが國に對する侵略の暴図を貫かんとする場合には、わが國が本條に定むるが如き原則を採ったならばよくその生存と安全とを全うし得るか否か憂慮する見方も一理あることを否み難い。そもそも本條の原則は理論上の自衛権の発動を否認するものではないが、実際上、戦力の保持を認められない以上は、かかる自衛権を肯定して見ても実益はない。本條の眞義を発揮し得るには、諸外國挙って同一の原則を採ることが前提であるといふべきである。従って、諸外國の意図を問わずに、一方的に本條の如き宣言をなすことは或る意味に於て、行き過ぎであるとも言い得るのであるが、かかる場合には、世界の正義感に訴えて、侵略行動を排除する方法も発見し得べく、わが國としてむしろ世界の習俗に抗し進んで理想に進むことが、却て将来のわが國の生きる途であることを疑わざる次第である。
(岩田行雄編・著、発行『検証・憲法第9条の誕生』初版2004.6、増補・改訂第2版2004.11、P.15〜17)
*なお、引用に当たって、一部常用漢字が混じっていることをお断りしておきます。

敗戦直後の各氏の「戦争」に対する意見

 また、小熊英二は『<民主>と<愛国>』新曜社の中で、憲法草案がアメリカ占領軍から提示された一九四六年二月以前の一九四五年八月にすでに意見として出されていたことを次のように紹介しています。

 たとえば評論家の河上徹太郎は、一九四五年一〇月に「政治、軍事、経済すべての面で手足をもがれたわが国の唯一のホープは文化である」と述べたし、京都学派の高坂正顕も八月二〇日の新聞寄稿で「戦争に負けたということは総力の点において敗れてしまったということではない」として「文化戦争に勝て」と唱えた。東久邇首相も一九四五年八月の記者会見で、「一億総懺悔」とともに、「この際心機一転わが民族の全智全能を人類の文化に傾注」することを唱えている(5)。
 さらに陸軍中将の石原莞爾は、一九四五年八月二八日の『読売報知』に掲載されたインタビューで、こう述べていいる。(6)

 ……戦に敗けた以上はキッパリと潔く軍をして有終の美をなさしめて軍備を撤廃した上今度は世界の輿論に吾こそ平和の先進国である位の誇りを以て対したい。将来国軍に向けた熱意に劣らぬものを科学、文化、産業の向上に傾けて祖国の再建に勇往遭進したならば必ずや十年を出でずしてこの狭い国土に、この膨大な人口を抱きながら、世界の最優秀国に伍して絶対に劣らぬ文明国になりうると確信する。世界はこの猫額大の島国が剛健優雅な民族精神を以て世界の平和と進運に寄与することになったらどんなにか驚くであろう。こんな美しい偉大な仕事はあるまい。かかる尊い大事業をなすことこそ所謂天業恢弘であって神意に基づくものである。……天業民族に神様から与えられたこの国以外に領土をやたらに欲しがるに及ばない。真に充実した道義国家の完成こそ吾々の最高理想である。

 このような「平和」や「道義」の主張は、軍事的にも経済的にも敗れた日本に残された、最後のナショナル・アイデンティティの基盤であった。そしてそれは、原子爆弾に象徴される欧米の軍事力への、対抗意識とも結びあわされていた。

  たとえば、一九四五年九月二日に自決した沖縄出身の陸軍大佐である親泊朝省(おやどまりちょうせい)は、「大東亜戦争は道義的には勝利は占めた」という遺書を残した。その遺書によれば、「我が日本の戦争目的は、世界人類の幸福、世界の平和に寄与せんとする道義的精神に立脚して出発している」のに対し、アメリカは「人類史上末だ見ざる残虐なる原子爆弾を使用して得々たるものがあったではないか」というのだった。(7)

 原爆にたいする非難は、八月一五日の昭和天皇の放送でも、東久邇首相の八月末の記者会見でも、異□同音に主張されていたことであった。石原莞爾も前述のインタビューで、「米国のとった原子爆撃に真正両から人道無視の刻印を捺して執拗に抗議すべきである」と主張している。
 しかし、そのようにアメリカを非難することは、日本側が「世界平和」を掲げなければならないことを意味した。石原はそうした論理に沿って非武装平和主義を唱え、「身に寸鉄を帯びずとも世界平和と人道の為に彼の態度を糾弾し反省を求めねばなるまい」と主張していたのである。
 同時にこうした主張は、日本の「非道義」への反省にも、結びつく可能性をもっていた。親泊は前述の遺書で、原爆の残虐性を非難したあと、日本軍が中国で行なった、無辜の民衆に対する殺戮、同民族支那人に対する蔑視感、強姦、掠奪等」を批判している。(8)石原も上記のインタビューで、「東亜の各国家に対して日本が欧米覇道政策と同様の態度で臨んだ過去の一切の罪は衷心から深謝するの勇気を持たねばならぬ」と述べていた。
 そして注目すべきなのは、こうした平和主義の論調が、一九四五年八月の時点から存在していたことである。占領軍の指令以前に、民主化の声が総力戦の言葉づかいの延長で出現したのとおなじく、平和主義の声は「道義国家」のスローガンの延長として出現していた。憲法第九条は、こうした土壌の上に、登場してきたのである。


(5) 河上徹太郎「配給された『自由』」(『東京新聞』一九四五年十月二十六日、二十七日)、高坂正顕「新しき試練へ踏み出せ」(『毎日新聞』一九四五年八月二〇日)東久邇稔彦「日本再建の指針」(『毎日新聞』一九四五年八月三〇日。日高六郎編『戦後思想の出発』、『戦後日本思想体系』第一巻、筑摩書房、一九六八年に所収)二二四頁)。
(6)石原莞爾「全国民今ぞ猛省一番」(『読売報知』一九四五年八月二八日)五七頁。以下、石原のインタビューからの引用は五八、五九頁。
(7) 親泊朝省「草莽の文」(一九四五年八月二〇日付、日高編前掲「戦後思想の出発」に再録六三、六五頁。
(8) 同上書六八頁。
(小熊英二『<民主>と<愛国>戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、初版第一刷2002.10、第10刷2004.8、P.154〜156)

以前の記事はこちら
本の牢獄 (2005年12月1日)

抵抗の図書館人(2005年11月1日)

私立図書館を中心とした図書館令の改正(2005年10月1日)

戦時中の児童図書館 (2005年9月4日)

私立図書館に対する統制 (2005年8月1日)

図書館令改正のねらい (2005年7月1日)

昭和八(一九三三)年(2005年6月1日)

図書館記念日(2005年4月30日)

滝川事件と京都古書籍組合の抗議(2005年4月1日)

書庫から発見された新聞切抜帖(2005年2月26日)

迫りくる戦争と図書館 (2005年2月3日)

戦争の波が押し寄せる東京市の図書館 (2005年1月16日)

「戦争と図書館」の成り立ち (2005年1月15日)


Copyright(C) 「図書館九条の会」 All right reserved.