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「戦争と図書館」

図書館九条の会世話人 大澤正雄

迫りくる戦争と図書館 (2005年2月3日更新)

京橋図書館の開架室

 昭和三十四(一九五九)年十二月一日、私は、江戸川区の図書館から、中央区立の京橋図書館に転任した。
京橋図書館は明治四十三年に設立され、半世紀以上の間、東京市民に親しまれてきた図書館である。
大正十(一九二一)年十二月、久保七郎館長は、当時としては珍しいウインド付きの開架式図書館を設計したが、それは惜しくも大正十二年の関東大震災で焼失してしまった。
その後、昭和二(一九二七)年から約ニカ年の日数を費し、鉄筋コンクリート建、地上三階地下一階の、日本では初めてといわれる大規模の開架式図書館が竣工した。

 そのころ、この図書館を学生として利用された教育学者の宮原誠一氏は、自著のなかで、つぎのように述べている。
「われわれの世代──といえばだいたい大正末期から昭和の初期にかけて読書の遍歴を開始した者たちであるが、われわれは図書館の恩恵をこうむることが大であった。
東京あるいは大都市の図書館とではよほどひらきがあったとおもわれるが、ともかくその当時から太平洋戦争にかけて、束京の上野や日比谷や京橋の図書館では、相当自由な読書をたのしむことができた。
発禁の書でないかぎり、社会科学関係の書物もたいてい図書館で間に合った。

 図書館がまず第一に受験勉強の場所であることは、今とかわりがなかった。
私たちもさいしょは受験勉強をしに図書館にかよったのだが、やがて図書館そのものによって新しい読書の世界にみちびかれた。
図書目録や自由接架(当時京橋図書館がやっていた)にみちびかれて、私たちは書物の世界を知り、やがて自由主義思想や社会主義思想にざめさせられた」(『教育学ノート』河出書房、昭和三十一年)
 
  竣工当時の京橋図書館は、階下に児童室、新聞雑誌室、館外貸出のための半円型の開架書架室、二階には宮原氏が述べている約三万冊の図書が収容できる開架室があった。
そのほかには、この図書館が銀座ひかえたビジネス街であるというところから、「実業室」が設けられ、また築地川にのぞんだ大閲覧室は典雅な雰囲気をもち、利用者に喜ばれた。
しかし、一階の館外貸出専用の開架室は、開館間もなく、二年後に勃発した満州事変の余波をうけて開室困難な状況に追いこまれ、戦争を通じて四十年間、ついに利用効率最高の部屋が、倉庫のままで朽ち果てた。
貸出開架室用の図書費の補充がつかなかったのである。
図書費どころか、同館が竣工した翌昭和五年には、「経費節減」のため、当初点灯していた二六五灯を一三三灯に減灯、一六五円の経費節減をし、さらに「便所の巻取紙」を廃止し、「新聞紙」を以て代用した、と当時の記録にある。
 
  このようた状況は、京橋図書館に限らず、同じころ竣工した鉄筋コンクリート建の駿河台、深川図書館も同様、一階メインフロアーの開架室は、京橋図書館と同じような運命をたどった。

 東京市の図書館は、明治四十一(一九〇八)年日比谷図書館の開設に始まり、大正デモクラシーを背景に大きな発展を遂げたが、昭和六(一九三一)年、十五年戦争の開始とともに転落の一途をたどりはじめた。
図書館は、平和の時代に発展し、戦争の時代に衰退することは、古今東西かわらぬ真実のようである。 (清水正三編著『戦争と図書館』P.15-17)

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戦争の波が押し寄せる東京市の図書館 (2005年1月16日更新)

「戦争と図書館」の成り立ち (2005年1月15日更新)


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